2017年04月03日

へるにゃーさんクレジット入り
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音楽活動をはじめ、Web上でのさまざまな活動の際に「イメージキャラクター的なものが欲しいんだよなぁ」と悶々とすることはや4096年、清水の舞台から飛び降りたら怪我するので自宅のベッドから飛び降りた勢いでイラストレータのかたに依頼し、イメージキャラクターの構築と展開に踏み切りました。
引き受けて下さったのは、拙作小説シリーズのイラストも手がけてくださっているへるにゃーさん(PixivURL)。現在はフリーランスとして、様々な方面で活躍されています。

今回のイラスト制作の依頼に関しては、後日どういった流れだったのかを別記事として公開する予定です。
今回は依頼にあたってイメージしていた「キャラクターと設定背景」的なものだけご紹介。


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気づけば、私はここにいた。
誰に会ったのか、誰と話したのか、何も残っていない。
そして今、私は誰かと話をしている。
誰と話しているのか、何を話しているのか、何も残っていない。
耳に届く声。瞳に入る光。
誰が話し、誰が照らしているのか、何も残っていない。
私の見ている光は、聞こえている音は、現実なのか。
この狭い空間、ただ座って話をするだけ。それは会話なのか。
私は何を知り、何を与えているのか。
私は相手に何を想い、相手は私に何を想っているのか。
わかったフリをしたくても、わからない。

私の名前は愛莉(あいり)。
私にたったひとつ残されたもの。
この昏い空間から私を連れ出して、私に虹を見せて。
私がたったひとつ願うもの。

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PCやスマートフォン、そしてインターネットという、一見広大に見える世界に没頭する人々。その姿は傍から見れば、ただ光っている画面を見ているだけである事に気づかず、また気づいていてもそうと思いたくない。昨今の様々な事象の起点となっているコンピュータの世界に、いつの間にか身動きを封じられ、見ているものが真実か否かの判断も出来なくなっている。その基準を求める為に、また目の前の画面に答えを探す。あまりに広大な情報の海が生み出した、見えない壁に囲まれた究極の閉鎖空間。自我と他者、真実と嘘、現実と虚構。その全ては、何を基準に定めれば良いのか。そんな閉塞感すらも是とする世の中への、ささやかなアンチテーゼ。 

「ここ数年」といった期間ではなく、「今、まさにこの時」に私が感じたイメージを強く投影した作品を、イラストレータのへるにゃーさんは見事に仕上げてくださいました。
素晴らしいイラストを制作して下さった事に、あらためて感謝致します。

今後の音楽活動を始めとしたエンターテインメント方面を主軸に、この「愛莉(あいり)」をイメージキャラクターとして採用し、様々な場面に登場させたいと考えています。
「どうやって頼んだの?」「何を伝えて、何を聞けばいいの?」といった事に関しては、後日掲載予定の記事にて、可能な範囲でお伝え出来るといいなと思います。
創作活動というものに対して、受け側はどう捉えたらよいか、その参考になるような文章を推敲します。 

Illustrator:へるにゃー
PixivURL:https://pixiv.me/osakanakuwaeta 


(15:41)

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